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大阪地方裁判所 昭和36年(ヨ)2548号 判決 1963年5月17日

申請人 野元昇 外二名

被申請人 株式会社産業経済新聞社 外一名

主文

(一)  被申請人株式会社産業経済新聞社は、申請人野元昇を同被申請人大阪本社編集局連絡部電信課に勤務する従業員として取扱い、かつ、同申請人に対し金二三、二〇〇円及び昭和三六年一一月二五日以降一ケ月金二三、二〇〇円の割合による金員を、毎月二五日限り支払え。

(二)  被申請人株式会社大阪新聞社は、申請人庄野肇を同被申請人本社販売局販売推進本部に、申請人三山進を同被申請人本社編集局連絡部無線課に各勤務する従業員として取扱い、かつ、申請人庄野肇に対し金二一、一三七円及び昭和三六年一一月二五日以降一ケ月金二一、一三七円、申請人三山進に対し金二八、六〇〇円及び昭和三六年一一月二五日以降一ケ月金二八、六〇〇円の各割合による金員を、毎月二五日限り支払え。

(三)  訴訟費用は、被申請人らの負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者の求める裁判

申請人ら代理人は、主文第一、二項と同旨の判決を求め、被申請人ら代理人は、「本件仮処分申請は、いずれもこれを却下する。訴訟費用は、申請人らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、申請の理由

申請人ら代理人は、申請の理由及び被申請人らの主張に対する反論として、次のとおり述べた。

一、(一) 被申請人株式会社産業経済新聞社(以下、産経新聞社という。)は、肩書地に本店(東京本社)、大阪市に支店(大阪本社)を、名古屋市に中部総局、福岡市に九州総局を、岡山市、洲本市等各地に、支局を設置し、「産経新聞」を発行している会社であり、被申請人株式会社大阪新聞社(以下、大阪新聞社という。)は、肩書地に本店を、東京都に支社を設置し、「大阪新聞」を発行している会社である。

(二) 1申請人野元昇は、昭和二九年三月宮崎県立延岡向洋高等学校電気科を卒業し、同年四月産経新聞社に入社して以来、大阪本社印刷局活版部文選課に所属し、手動モノタイプ保守の作業に従事していたもの、2申請人庄野肇は、昭和二八年三月尼崎市立園田中学校を卒業し、同年四月大阪新聞社に入社して以来、本社印刷局文選課に所属し、文選及び手動モノタイプの操作に従事していたもの、3申請人三山進は、昭和二五年三月大阪市立都島工業高等学校電気科を卒業し、同月大阪新聞社に入社して以来、本社印刷局原動部(後に管理部となる)電気課に所属し、変電室保守管理等の作業に従事していたもので、いずれも産業経済新聞、大阪新聞、日本工業新聞労働組合(以下、組合という。)の組合員であるが、昭和三六年一月二一日付をもつて、産経新聞社から、申請人野元は産経新聞社大阪本社編集局連絡部電信課に、申請人庄野は大阪新聞社本社販売局販売推進本部に、申請人三山は大阪新聞社本社編集局連絡部無線課に、それぞれ配置換を命ぜられた。

二、ところで産経新聞社は、昭和三六年一〇月一日付をもつて、申請人野元に対し産経新聞社岡山支局、申請人庄野に対し産経新聞社九州総局、申請人三山に対し産経新聞社洲本支局勤務を命じ(以下、本件転勤命令ともいう)、申請人らがこれを拒否したところ、同年一一月一〇日申請人らに対し、就業規則第八〇条第四号により、同月一一日付で懲戒解雇する旨の意思表示をした。

三、しかし申請人らに対する本件転勤命令及び懲戒解雇の意思表示は、次の理由により無効である。

(一)  産経新聞社の申請人庄野、同三山に対する転勤命令権及び懲戒処分権の不存在、転勤命令及び解雇処分は使用者が雇傭契約上の権限として行使し得るもので、雇傭契約の存在を前提とするものであるところ、雇傭契約の当事者でない産経新聞社が申請人庄野、同三山(同申請人らの雇傭主は大阪新聞社である。)に対しなした本件転勤命令及び懲戒解雇の意思表示は、何ら効力を有しない。また申請人庄野、同三山に対しなされた産経新聞社九州総局、同社洲本支局への転勤命令は、雇傭契約に基く使用者の権利の譲渡(大阪新聞社から産経新聞社へ。)を前提としてのみ考えうるところ、同申請人らの承諾がない限り、右譲渡も無効である(民法第六二五条第一項参照)。

(二)  不当労働行為

産経新聞社の申請人野元、同庄野、同三山に対する本件転勤命令は、いずれも不当労働行為であつて無効であり、右転勤命令を拒否したことを理由とする申請人らに対する懲戒解雇の意思表示もまた無効である。その論拠は、次のとおりである。

1 産経新聞社、大阪新聞社、申請外株式会社日本工業新聞社と組合の関係

(1) 申請人らに対する昭和三六年一月二一日付配置換(以下、第一次異動ともいう。)及び本件転勤命令が行われるに至つた背景を明らかにするために、産経新聞社、大阪新聞社及び申請外株式会社日本工業新聞社(右三社は、産経新聞社を中心として事実上一つの企業として運営されており、対組合関係の事項は全て同一方針で処理されている。以下、単に会社という場合は、右三社を指す。)と組合との間に、昭和三五年一〇月二九日調印された平和維持に関する協定(以下、平和協定という。)をめぐる両者の動向について述べる。昭和三三年一一月水野成夫が産経新聞社の代表取締役(社長)に就任し、会社の実権を掌握するや、いわゆる経営近代化、合理化政策が進められ、その結果従業員に対し労働強化、一方的な配置転換、出向等労働条件の切下げが次々と行われた。一方、会社は従業員からの抵抗を排除するため、いわゆる「王者の風格」をもつ新聞をつくるために従業員が一致して努力するようあらゆる機会に強調するとともに、組合役員の選出に干渉したり、いわゆる三田村学校に従業員を参加させて労使協調主義を身につけた組合活動家を養成する等の手段を講じて、組合の御用化に努め、着々とその成果を挙げてきた。

(2) 会社は、昭和三五年五月組合機関紙を通じて、その経営危機の情報を流し、更に同年六月末から八月末にかけて、会社、組合が一体となつて会社の経営危機を宣伝し、組合は会社から再建計画案が示されるや、既に本部中央委員会で決定していた秋季闘争をも中止することとし、同年一〇月一一日会社が組合に対し提案した「組合は三年間一切の争議行為を行わない。」その他を内容とする平和協定は、同月一三日の本部執行委員会において、受諾する旨決定し、同協定の諾否等の審議のため、本部臨時大会が、同月二八日開催されることとなつた。

(3) 会社は、右大会において平和協定を全員一致で可決する方針をとり、同大会に出席する代議員の選出に干渉したり、選出された代議員に対し執拗な働きかけを行つた結果、遂に同協定は、同大会において、賛成七一、反対なし、保留四で可決された。なお右大会において、組合が加盟していた日本新聞労働組合連合から脱退するとの緊急動議が提出され、充分な討議を経ないで賛成六二、反対五、保留七で可決された。

(4) 平和協定成立後の組合は完全に御用化し、個々の組合員の要求や不満は、会社再建の名の下に圧殺され、会社が採用した一紙拡張運動(全従業員が、毎月一部宛新たな新聞購読者を獲得するとの運動)を組合活動として取上げるまでに至つた。

2 申請人らの組合経歴及び会社、組合に対する態度ないし組合活動

(1)イ、申請人野元は、昭和三〇年三月組合大阪支部代議員(職場委員)、同年九月同支部中央委員、同支部代議員(職場委員)、昭和三一年三月本部中央委員、本部青年婦人部選挙管理委員長、昭和三二年三月同支部執行委員、本部青年部書記長、昭和三三年三月同支部青年部長(同年五月病気のため辞任)、昭和三四年四月及び昭和三六年三月本部執行委員、本部青年婦人対策部長に選任または選出され、その間組合活動として、昭和三一年六月には、同支部印刷局活版部文選課職場において、「産経新聞」夕刊発行の際、人員増加要求闘争を指導し、会社に対し勤務時間、勤務体制等に関するいわゆる「文選五原則」を確立させ、昭和三二年一〇月には、同文選課職場に新たに設けられた班長制に対し、アンケートを取る等の方法で撤廃運動を行い、これを廃止させ、昭和三五年三月には、組合青年部機関誌「ちから」に、合理化特集を掲載させた。

ロ、申請人庄野は、昭和三一年三月組合大阪支部青年婦人部評議員、昭和三二年三月同支部青年部委員(文化班長担当)、昭和三三年三月同支部青年部委員(事務長担当)、昭和三四年三月同支部青年部委員(渉外班長担当)、日本新聞労働組合連合近畿地方連合会青年婦人部常任委員、昭和三五年三月組合大阪支部中央委員、同支部青年部委員(事務長担当)に選任または選出され、その間組合活動として、昭和三一年六月には、同支部印刷局活版部文選課職場において、申請人野元とともに人員増加要求闘争を指導し、昭和三二年一〇月には、同文選課班長制撤廃運動を指導し、昭和三五年春には、三池闘争にオルグとして参加した。

ハ、申請人三山は、昭和二八年三月組合大阪支部青年婦人部書記長、同支部代議員(職場委員)、昭和二九年三月同支部青年婦人部代議員(職場委員)、昭和三〇年三月同支部執行委員、同支部教宣部長、同年九月同支部代議員(職場委員)、昭和三一年三月同支部執行委員、同支部組織部長、昭和三二年三月組合本部中央委員、昭和三三年三月同本部執行委員、昭和三五年三月同本部中央委員に選任または選出され、その間組合活動として、昭和三一年四月には、同支部印刷局原動部職場で、会社に対し夜勤手当を要求した際、交渉委員として努力し、同手当一日につき一〇〇円を獲得し、昭和三二年一一月には、定期昇給の際、同部電気課組合員の査定が低かつたので、再査定を要求してこれを実現し、昭和三五年一月には、同部の一部施設と関係従業員が産経ビル会社に移転するという問題がおきた際、交渉委員として活動した。

申請人らは、組合大阪支部印刷局職場において、相互に連繋を保ちながら職場組合員の意向を酌んで、組合の中でも最も活動的であると評価されている同職場の中心となり活動した。

(2) 以上の如き組合活動を行つてきた申請人らは、会社及び組合の態度に対し、批判的立場に終始した。

イ、申請人野元は、昭和三五年三月以降、組合本部執行委員として、合理化政策による組合員の経済的地位低下を防ぐため積極的に行動し、更に同委員会において、平和協定に対し批判的立場をを堅持し、組合の日本新聞労働組合連合からの脱退については反対した。

ロ、申請人庄野は組合大阪支部印刷局職場において、平和協定反対の活動を強力に行い、同協定の諾否を決定する本部臨時大会の代議員に選出され、同協定に賛成するようにとの職制、組合役員の説得を受けたにも拘らず、右大会において同協定批判の発言をし、挙手による採決の際、保留の意見を表明した。同申請人は、昭和三五年末の一時金につき、平和協定に反対したことを理由に低く査定されたので、大阪本社印刷局苦情処理委員会に対し苦情を申立て、昭和三六年六月二四日査定を再検討すること、との決定を得たが、会社はこれを無視している。

ハ、申請人三山は、昭和三五年三月組合本部定期大会に代議員として出席し、執行部の夏季、年末一時金を夏季に一括して要求する年間臨給方式に反対し、これを否決させたし、同年六月末の本部中央委員会において夏季一時金につき会社の回答を受諾した執行部を批判し組合民主々義の確立と今後のあり方について討議するための本部臨時大会の開催を求める緊急動議を提出した。また平和協定の諾否を決定する本部臨時大会の代議員選挙には、同協定反対を表明して立候補したが、職制の介入に会い落選した。

3 申請人らの組合活動に対する産経新聞社及び大阪新聞社の態度

(1) 申請人らの前記組合活動を嫌悪していた被申請人らは、昭和三六年二月の組合役員改選を控え、申請人らに対し、同年一月二一日付で配置換を命じた。被申請人らは業務上の必要による適材適所を目的とした配置換で申請人らの組合活動を嫌悪したが故になしたものではないというが、第二の一、(二)記載の如き学歴を有し、七年ないし一一年という長年月に亘つて習熟した印刷局職場から、全く未経験の他局の職場に移したことは、業務上の合理性がないことは勿論、申請人らの活動の拠点となつていた大阪本社印刷局職場から申請人らを隔離して孤立化し、同年二月の組合役員選挙に、平和協定に対し批判的立場を持ちつつ、既に職場の推薦を受け、或いは立候補の意思を表明し、当選が確実視されていた申請人らが、組合役員に選出される途を鎖そうと意図したからにほかならない。

申請人らは、所属の大阪本社印刷局苦情処理委員会に対し、苦情を申立て、右配置換の取消を求めたが同委員会から移管を受けた大阪本社苦情処理委員会は、同年三月一五日「申立を受理しない。」との決定をした。右配置換により、長年に亘り組合役職の経歴を有する申請人らは、同年二月の組合役員改選期に役員の地位を占めることができなかつた。

(2) 被申請人らは、申請人らに対し昭和三六年一〇月一日付をもつて再び本件転勤を命じたが、(イ)、申請人野元の岡山支局における業務は、昭和三七年三月設置予定の漢字テレタイプ(キーボード)のキーパンチヤー及び全く未経験の取材、編集等の記者業務ということであり、(ロ)、申請人庄野の九州総局における業務は、九州一円を持つ販売担当員(現在まで、同総局に販売担当員は一名も配置されていない。)ということであり、(ハ)、申請人三山の洲本支局における業務は、昭和三六年一一月設置予定の無線機の操作及び全く未経験の記者業務ということであり、その任に堪え得ないことは明らかで、本転勤命令には合理的理由がない。申請人らは、所属の局苦情処理委員会、次いで大阪本社苦情処理委員会に対し苦情を申立て、本件転勤命令の取消を求めたが、いずれも申立を棄却された。

以上本件転勤命令は、前記第一次異動の結果、組合役員の地位を失つた申請人らを小規模の地方支局ないし総局に配置し、その組合活動を事実上不可能ならしめ、もつて組合員に対する影響力を完全に遮断する意図でなされたもので労働組合法第七条第一号により無効である。従つて右転勤命令を拒否したことを理由とする申請人らに対する本件懲戒解雇の意思表示もまた同法第七条第一号により無効である。

四、仮処分の必要性

以上のとおり、申請人らに対する本件転勤命令及び懲戒解雇の意思表示はいずれも無効であるから、申請人野元は産経新聞社大阪本社編集局連絡部電信課、申請人庄野は大阪新聞社本社販売局販売推進本部、申請人三山は大阪新聞社本社編集局連絡部無線課において、それぞれ就労し得べき雇傭契約上の地位を保有し賃金請求権を有するにも拘らず、これを否定し、申請人野元は産経新聞社から一カ月金二三、二〇〇円の平均賃金を、申請人庄野は大阪新聞社から一カ月金二一、一三七円の平均賃金を、申請人三山は大阪新聞社から一カ月金二八、六〇〇円の平均賃金を、毎月二五日に支払われていたが、昭和三六年一〇月二五日に支払うべき各賃金以降の分を支払わない。申請人らは、賃金のみをもつて生活の資とする者であるため、本案裁判の確定を待つていては回復し難い損害を蒙ることは明らかであるから、本件仮処分申請に及んだ。

五、(一)、九州総局、洲本支局が、産経新聞社の総支局であるとともに大阪新聞社の総支局である、(二)、申請人庄野が大阪新聞のほか、産経新聞社にも雇傭されている、との被申請人らの各主張は、いずれも争う。

第三、被申請人らの答弁及び主張

被申請人ら代理人は、答弁及びその主張として、次のとおり述べた。

一、申請の理由一、二の事実は、認める(但し、九州総局、洲本支局が産経新聞社、大阪新聞社合同の総支局であること、申請人庄野が産経新聞社にも雇傭されていることは、後に述べる。)。同三の事実中、会社組合間に平和協定が存在すること、申請人らが第一次異動及び本件転勤命令に対し、所属局の苦情処理委員会に苦情を申立て、更に大阪本社苦情処理委員会に不服を申立てたが、いずれも受入れられなかつたことは認める。申請人らの組合経歴及び組合活動に関する点は不知、その余の事実は争う。被申請人らは、昭和二八年頃から次第に赤字が累積し、昭和三〇年一〇月三〇日には、約四〇億円の負債と一〇億円の不良債権を抱えたいわば崩壊寸前の状態にあり、昭和三三年一〇月三〇日水野成夫が産経新聞社の社長に就任したが、その直後の昭和三四年一月の貸借対照表によれば、被申請人らは前期繰越損金一二億六七五〇万円、当期損失金六九〇〇万円、合計一三億三、六五〇万円の損失金を抱えており、その再建が迫られていた。平和協定は、かかる被申請人らの再建という特殊な背景のもとにおける労使関係下で締結された長期安定賃金協定であつて、右協定条項を労使が遵守する限り労働組合の保有する争議権等を右協定期間中回避するというもので、労使関係安定の役目を果す協定、協約の一種に過ぎない。なお申請人らの組合活動は、その主張する程活発に行われたものではなく被申請人らが注目しなければならないものはなかつた。従つて被申請人らがこれを排除する必要はなく嫌悪する理由は少しもない。同四の事実中、申請人らの平均賃金月額が申請人ら主張のとおりであることは認める。

二、申請人庄野、同三山に対する本件転勤命令及び懲戒解雇の意思表示

(一)  産経新聞社と大阪新聞社は、法律上は独立の法人格を有する別個の会社であるが実質上は一個の企業として活動している。即ち本社、総局、支局、通信部等あらゆる機関において、新聞の取材、編集、広告取扱、印刷、販売等が渾然一体となつて行われており、両社に独自の総局、支局は存在せず、また従業員間に社籍の意識は全然ない。とりわけ大阪新聞社が昭和三四年六月一五日株主総会の決議により、その経営に関する一切の権限を産経新聞社に委任して以来、産経新聞社は大阪新聞社の人事権を含む経営に関する一切の権限を代理行使している。

(二)  ところで申請人庄野、同三山に対する本件転勤命令は、産経新聞社、大阪新聞社合同の九州総局、洲本支局に転勤を命じたものである。また同申請人らに対する本件転勤命令及び懲戒解雇の意思表示は、産経新聞社が大阪新聞社の有する人事権を代理行使したもので、その行使にあたり産経新聞社の名でなされているが、このことは同申請人らは勿論、全従業員とも承知している。従つて産経新聞社が代理行使にあたり、大阪新聞社の為にすることを顕わさなくても、本件転勤命令及び懲戒解雇の意思表示は有効である。なお申請人庄野は、産経新聞社、大阪新聞社の両方に雇傭されている。

三、業務上の必要に基く転勤命令

申請人らに対する第一次異動及び本件転勤命令は、申請人らの組合活動とは何ら関係なく、被申請人らの業務上の必要に基きなされ、かつ合理的な措置である。即ち日本の新聞業界における長年の懸案であつた新聞の製作工程における機械化が、朝日、毎日、読売各新聞社等の大手各社において、既に昭和三四年五月頃から着々と進展しつつあつた。被申請人らにおいても平和協定の締結により企業再建計画が確定し、労使協力のもとに昭和三六年一月に機械化委員会を発足させ、昭和三八年末までに本社内の完全機械化を完成させるとともに、全総、支局に漢字テレタイプを設置し、速報体制を強化することとなつた。その結果、活字鋳造、原稿による手拾い植字等の工程が漸次姿を消すとともに、キーパンチヤー職種、機械化に促応した新しい新聞記者が必要となつた。また被申請人らは、新聞の販売拡張にも力を入れ、昭和三五年末に販売推進本部を発足させた。

(一)  昭和三六年一月二一日付配置換

1 申請人野元は、同申請人が従事していた手動モノタイプが機械化の進展により全自動モノタイプ(キーボード)に切替えられつつあつたので、学歴その他適性を考慮してキーボードのパンチヤー要員として配置換した。

2 申請人庄野は、被申請人らの販売拡張政策の一貫として販売推進本部へ、粘り強い性格、緻密で折衝力の秀れた点が買われ配置換した。

3 申請人三山は、取材面の拡充に伴い、無線要員の充足が迫られ、学歴、電気関係の知識を有する点を考慮し配置換した。

(二)  本件転勤命令

1 申請人野元は、大阪本社編集局連絡部電信課員として八カ月勤務し、キーボードのパンチヤーとして一応の水準に達し、独身で年令も若く、機械化のもとにおける新聞記者としての適性を有するので、昭和三七年三月に予定している岡山支局へのキーボードの設置に備え、その準備ないし現地事情に精通させる必要のため五カ月前の昭和三六年一〇月一日付で、同支局勤務を命じた。なお右設置が若干遅れ、キーボードは昭和三七年五年頃から稼動した。

2 申請人庄野は、大阪本社販売局販売推進本部員として八カ月勤務し、その間販売拡張、販売店との折衝等販売業務遂行に必要な一応の基礎知識を体得した。昭和三五年頃被申請人らは西日本新聞社との間に販売提携ができ、九州地区の販売担当員を引き揚げ西日本新聞社に九州一円の販売を委託したが、一年間に販売部数が半分以下に激減したので、右提携を打切り、九州総局に常駐の販売担当員を置くこととなつたが、右販売担当員としての適性を有し、かつ独身である同申請人に対し昭和三六年一〇月一日付で九州総局勤務を命じた。

3 申請人三山は昭和三六年五月一六日特殊無線技士(無線電話乙、ラジオカー用)の免許を取得し、機械化のもとにおける新聞記者としての適性を有する同申請人に対し、無線機の設置が予定され、その要員を必要とする洲本支局へ、昭和三六年一〇月一日付で勤務を命じた。なおその後、日本電信電話公社から洲本支局との間に専用電話設置の認可があつたため、同支局への無線機の設置は一時見合せているが、同支局が無線関係技術者を必要としていることには変りがない。

以上のとおり申請人らに対する本件転勤命令は、被申請人らの業務上の必要に基く合理的な措置で、不当労働行為となるものではない。しかしながら申請人らは、右転勤命令を拒否し、いたずらに転勤のための猶予期間を徒過し、更に再三再四に亘る赴任勧告をも拒否し続けているので、已むなく就業規則第八〇条第四号に基き所定の手続を経て、申請人らに対し昭和三六年一一月一一日付で懲戒解雇する旨の意思表示をしたものである。従つて申請人らに対する本件転勤命令及び懲戒解雇の意思表示は正当で、本件仮処分申請はいずれも失当である。

第四、疏明関係

<省略>

理由

一、申請の理由一(但し被申請人らは、申請人庄野が大阪新聞社のほか、産経新聞社にも雇傭されていると主張する。)二(但し被申請人らは、九州総局、洲本支局が、産経新聞社、大阪新聞社合同の総支局であり、申請人庄野、同三山に対しては右合同の総、支局へ転勤を命じたものである、と主張する。)、の事実は、当事者間に争いがない。

二、産経新聞社と大阪新聞社の関係について。

申請人ら及び被申請人らの各主張を検討する前に、その前提となる産経新聞社と大阪新聞社の関係を明らかにする。

いずれも成立に争いのない甲第一号証の一ないし三、同第三、第四号証、乙第一号証、第三号証の一、二、同第二九号証及び証人岡本武雄、同三輪孝平、同松岡喬一朗、同織田文雄の各証言を総合すると、

(一)  産経新聞社は、経済専門紙として発行していた「産経新聞」を、昭和二五、六年頃から、いわゆる全国紙として、これを朝刊とし、大阪新聞社の発行する「大阪新聞」(この点は、当事者間に争いがない。)を夕刊とし、右朝、夕刊の組合せで発行している(なお、昭和三〇年頃から産経新聞を朝、夕刊とも発行している。)が、当時から両新聞社の取材、編集、印刷、広告取扱、発送等全ての部門は一体となつており、産経新聞社、大阪新聞社の本社における総務局、編集局、印刷局、販売局等は共通のものであること、右各局ないし各部門の職場は、いずれも産経新聞、大阪新聞の発行等に関係し、例えば編集局整理部では、同一従業員がある時は産経新聞の紙面の整理をし、他の時は大阪新聞の紙面の整理をしている。

(二)  産経新聞社と大阪新聞社は、大阪新聞社が昭和三四年六月三〇日の第三四回定時株主総会における決議に基き、その経営する大阪新聞の発行営業及び人事権を含むその他一切の経営を産経新聞社に委任して以来、同一方針をもつて経営されている。

(三)  現在、産経新聞社の社籍を有する従業員は、大阪本社関係で約一、四〇〇名、大阪新聞社の社籍を有する従業員は約四〇〇名である(経営委任後は、大阪新聞社従業員の新規採用はない。)が、産経新聞社が右経営委任に基き右大阪新聞社従業員に対しても人事異動の発令をしている。

(四)  大阪新聞社の社籍を有する申請人庄野、同三山に対する本件の第一次異動、転勤命令及び解雇もまた、産経新聞社が前記経営委任に基く人事権の行使として、これを行つたものである。

(五)  産経新聞社、大阪新聞社、申請外日本工業新聞社の従業員で一つの労働組合を組織しており、右各社従業員に対する就業規則、賃金規則は同一内容のもので、各社従業員間の労働条件に差異はない。

以上の事実が疎明せられ、右認定を動かすべき資料はない。一体労働組合法第七条が不当労働行為として禁止しているのは使用者の行為である。しかしながら、使用者以外の第三者であつても、本件のごとく、法律上別個の法人格を有するに止り、使用者との間に前叙説示のような関係があつて、使用者を代理する地位にある限り、その者にいわゆる差別待遇、支配介入等の行為があつた場合には、当然に、使用者に不当労働行為ありとすべきである。そこで本件において、産経新聞社が前記経営委任に基く人事権の行使として、大阪新聞社の社籍を有する申請人庄野、同三山に対してなした第一次異動、転勤命令及び解雇の効力を按ずるに当つては、申請人野元に対する関係と一括して、先ず不当労働行為の成否について判断する。

三、不当労働行為の主張について、

申請人らは、本件転勤命令は、被申請人らが申請人らの組合活動の故をもつて、ないし申請人らの組合活動を阻止する意図でなした不利益な取扱いであるから、不当労働行為で無効であり、これを拒否したことを理由とする懲戒解雇の意思表示もまた不当労働行為で無効であると主張するので、先ずこの点から以下判断する。

(一)  被申請人らが組合に対し平和協定を提案するに至るまでの経過を明らかにするに、いずれも成立に争いのない甲第四号証、同第九号証の二ないし四、乙第一五、第一六号証、証人泉山喜三郎、同辰農啓一の各証言により真正に成立したものと認められる乙第一三号証及び証人岡本武雄、同泉山喜三郎、同辰農啓一の各証言並びに申請人野元本人尋問(第一回)の結果を総合すると、

1  産経新聞社は、水野成夫が前田久吉に代り代表取締役(社長)に就任した昭和三三年一〇月には、その債務が一〇数億を超え、年間一〇数億の赤字を抱え、その経営は悪化していたが、昭和三四、五年の好景気の波にも乗り、赤字が解消しつつあつたので、被申請人らの長期再建計画を建て会社を再建することとした。

2  昭和三五年九月初旬水野成夫社長と組合本部四役、同両支部三役が会見した際、同社長から企業再建計画の構想が述べられ、昭和三五年九月二〇日の中央労使協議会(労使協議会は、労働協約によると、労使間のあらゆる事項について、その処理解決の方法を協議立案し、会社、組合双方の承認を得て実施するとともに会社、組合の状況その他必要な事項を相互に連絡する、ために設置されており、東京、大阪、中央の各労使協議会がある。右中央労使協議会は、組合本部委員長、同副委員長、同書記長、組合両支部委員長ら八人と会社側労務担当者八人で構成されている。)の席上、水野社長は、社業再建のために、(イ)経営合理化の一環としての社員教育、(ロ)会社の長期再建計画、(ハ)平和協定の締結が必要であることを提案し、更に同年一〇月一一日の中央労使協議会の席上、社業再建の基本的構想と平和協定を文書で提案するとともに、組合の全面的協力を要請した。右協定は、産経新聞社、大阪新聞社及び申請外日本工業新聞社と組合間の協定で、一、基本原則 二、給与協定(定期昇給及び賞与の支給基準を協定し、会社はこれに従つて支給するものとし、組合は会社に対し協定期間中経済的要求を行わないこと。) 三、その他の労働条件 四、平和義務(労使間の交渉事項は全て労使協議会において平和裡に解決すること、組合は協定期間中一切の争議行為及びこれに類似する行為を行わないこと。) 五、再建推進協議会 六、身分保障 七、協定期間(協定の有効期間は、協定の日から三カ年とすること。)から成るもので、三日間に亘り協議し、同月一三日の中央労使協議会において、ほぼ原案通り了解し、組合も本部執行委員会において討議した結果、これを受諾することとし、同月二八日開催予定の第一五期本部臨時大会でその可否をはかることとなつた。

以上の事実が疏明せられ、右認定を動かすべき資料はない。

(二)  産経新聞社が申請人らに対し本件転勤命令を通告するに至るまでの事情は、いずれも成立に争いのない甲第五号証の一、二、同第六号証の一ないし五、同第七号証の一ないし三、同第八号証の一ないし四、同第九号証の四、同第一五号証の一、同第一六号証、同第二四号証、同第二五号証の一ないし三、同第二六号証、乙第三〇号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第一〇号証の一ないし三、同第一一号証、証人笠松克彦の証言により真正に成立したものと認められる甲第二二、第二三号証、申請人野元本人尋問(第二回)の結果により真正に成立したものと認められる甲第二九、第三〇号証及び証人広島偉堯、同大塚正基、同笠松克彦の各証言並びに申請人野元(第一、二回)、同庄野、同三山各本人尋問の結果を総合すると、

1  申請人らは、組合大阪支部組合員約二、〇〇〇名のうち約三分の一を占める六〇〇名余を有し、数年来最も活発に組合活動を行つてきた同支部印刷局職場に所属し、かつ同職場内において積極的に組合活動を行ない、その中心的存在であり、会社提案の平和協定に対し、申請人らは勿論、同印刷局職場組合員の間でも批判的空気が強かつた。

2  申請人野元は、(1)昭和三〇年三月組合大阪支部代議員(職場委員)、同年五月同支部中央委員、昭和三一年度の本部中央委員、昭和三二年度の同支部青年部書記長、昭和三三年度の同支部青年部長(同年五月病気のため辞任)、昭和三四、三五年度の本部執行委員、本部青年婦人対策部長を務め、(2)昭和三五年九月二〇日、同月二二日の本部執行委員会において、同月二〇日の中央労使協議会の席上、水野社長から提案のあつた社業再建計画案に対し、東京支部出身の執行委員佐藤清、同清水忠雄とともに、現状では平和協定の締結に反対であること、右提案の趣旨を全組合員が理解し易いように発表すべきである旨発言し、また職場会等において、平和協定に対し、一切の争議権を行使せず、経済的要求をしないことは、従業員の労働条件を低下させるものであるとして反対の態度を明らかにした、(3)昭和三六年一月二〇日土橋四郎大阪本社印刷局長から、印刷局での経験を生かし電信の仕事に従事するため、大阪本社編集局連絡部電信課に配置換(第一次異動)する旨の内示があつた。しかし右配置換につき、所属文選課の三代経夫副課長、主任とも事前に知らなかつた、(4)当時同申請人は、同年二月に施行される組合役員選挙に、既に職場の内諾を得て、本部または大阪支部執行委員に立候補を予定し、当選が確実視されていたところ、右選挙告示数日前に配置換になり、編集局職場からは当選の見込みがなかつたので立候補しなかつた、(5)次いで同年九月二七日吉村連絡部長から、岡山支局勤務の内示があり(本件転勤命令)、同支局での職務は、昭和三七年三月設置予定のキーボードのパンチヤー及び新聞記者業務である旨の説明があつた。

3  申請人庄野は、(1)昭和三一年度の組合大阪支部青年婦人部評議員、昭和三二年度の同支部青年婦人部委員(文化班長担当)、昭和三三年度の同委員(事務長担当)、昭和三四年度の同委員(渉外班長担当)、日本新聞労働組合連合近畿地方連合会青年婦人部常任委員、昭和三五年度の組合大阪支部中央委員、同支部青年部委員(事務長担当)を務め、(2)所属の大阪支部印刷局活版部文選課職場で、昭和三一年六月には、産経新聞夕刊の増紙に際し、申請人野元ら四、五名のものと、会社に対し同課の人員要求を行ない、翌七月に、勤務時間、勤務体制等に関し、(1)宿直、宿泊の翌日の勤務は定時間で残業はさせない。(2)残業者は予定残業時間で退社させる。(3)夜食は午後七時より各二〇分ずつ行けるように即日実施する。(4)宿直、宿泊者には本版以外の採字はさせない。(5)八月一〇日より五名採字者に繰り上げる。この場合残業時間を増加しないという、いわゆる「文選五原則」を確立し、昭和三二年一〇月には、同課班長制の廃止運動を指導し、昭和三五年四月からの新勤務体制に対し、労働強化になることを理由に反対闘争し、(3)平和協定に対し、組合が協定期間中、一切の争議行為等を行使しないことは労働組合としての特権を放棄するものであるとして、これに反対の態度をとつていた、(4)右平和協定の可否を決める本部臨時大会に出席する代議員(組合員五〇名に代議員一名の割合)に、文選課職場委員会(職場委員、同課選出の本部、大阪支部執行委員、中央委員で構成されている。)の推潔を得て、同課から播口潔、小松文吉とともに選ばれたが、右代議員選挙開票直前の昭和三五年一〇月一九日夕方土橋大阪本社印刷局長から、職歴、将来の希望等を聞かれた際、臨時大会において平和協定に対し賛成するかどうか質問され、同月二三日昼過ぎ、同月二六日夕方、その間に一回と併せて三回に亘り、三代文選課副課長から、同申請人が文選課で仕事を続けて行くためにも、大会において平和協定に賛成するようにとの働きかけがあり、文選課選出の播口、小松、大組課選出の清水和夫、植字課選出の中谷忠三、輪転課選出の広島偉堯各代議員に対しても職制から、大会において平和協定に賛成するようにとの働きかけがあつた、(5)昭和三五年一〇月二八日の本部臨時大会において、同申請人は三回、延約一時間に亘り、一三項目について質問し、採決の際保留の態度をとつた。なお平和協定は、賛成七一、反対なし、保留四で会社と締結することに決定し、翌二九日産経新聞社、大阪新聞社、申請外日本工業新聞社と組合との間で締結された、(6)同申請人は、平和協定可否の採決の際、反対を表明する予定であつたが、東京本社選出の代議員と情勢を検討した結果、反対を表明することに躊躇している代議員を含め同協定批判勢力を結集するため保留の態度をとつた、(7)昭和三五年末に支給された一時金が、組合機関誌に掲載された平均額より一、三〇〇円程少かつたので、同年一二月一三日高橋昇活版部長に対し、その理由を質したところ、前記臨時大会における同申請人の態度を査定の理由としたとの答えがあつたので、不当労働行為の疑いがあるとして、大阪本社印刷局苦情処理委員会に対し苦情の申立をした。右委員会は五回開催されたが、第一、二回目の席上、上田耕作大阪本社印刷局次長から、会社は平和協定に基く再建計画を押進めているが、同申請人の大会における平和協定に対する態度及び平常の考え方を査定した、との説明があり、同委員会は紛糾した。第三回目以降他の査定理由が追加されたが、前記査定理由は撤回されなかつた、(8)昭和三六年一月二〇日土橋大阪本社印刷局長から、新聞の製作工程を知つており、新しい職場における適性も考慮し、本社販売局販売推進本部に配置換(第一次異動)する旨通告された。しかし右配置換につき、所属文選課の三代、菅野副課長とも事前に知らなかつた、(9)当時同申請人は、同年二月に施行される組合役員選挙に、印刷局から大阪支部執行委員に立候補する旨表明しており、当選が確実視されていた、(10)次いで同年九月二七日高木販売推進本部販売第一部長から、九州総局勤務の内示があり(本件転勤命令)、経験を生かし九州駐在の販売担当員として働いて貰う旨の説明があつた。

4  申請人三山は、(1)昭和二八年度の組合大阪支部青年婦人部書記長、昭和三〇年度の同支部執行委員(教宣部長)、昭和三一年度の同支部執行委員(組織部長)、昭和三二年度の本部中央委員、昭和三三年度の本部執行委員、昭和三五年度の本部中央委員を務め、その間昭和三二年、昭和三五年に本部大会代議員、昭和三四、三五年に大阪支部大会代議員として出席し、(2)昭和三一年四月には、印刷局原動部職場で、会社に対し夜勤手当を要求した際、交渉委員として努力し、同手当一日につき一〇〇円を獲得し、昭和三二年と昭和三四年の定期昇給の際、同部電気課員の査定が低かつたので、原動部長に対し再査定を要求し、いずれもこれを実現し、昭和三五年三月の本部定期大会において、代議員として、人員の削減を目的とする会社の合理化案及び一時金一括要求方式に反対の発言をし、同年六月末の本部中央委員会において、水野労政と対決するとともに組合民主主義を守るために臨時大会の開催を要求した緊急動議を提出した、(3)平和協定に対し、電気課職場では、同課と機械課の合同課会における上田大阪本社印刷局次長の、会社の現状から見て同協定を促進する必要がある、との発言等にも拘らず、反対の空気が強かつた。同申請人も、合同課会において同協定反対の発言をし、電気課の推薦を得て、臨時大会代議員選挙に立候補したが、他の課の賛成を得られず落選した、(4)昭和三六年一月二〇日土橋大阪本社印刷局長から、電気課における技術を生かすため、本社編集局連絡部無線課に配置換(第一次異動)する旨通告された。しかし右配置換につき、所属電気課長、副課長とも事前に知らなかつた、(5)当時、同申請人は、同年二月に施行される組合役員選挙に、印刷局から大阪支部執行委員に立候補する予定で、当選が確実視されていた、(6)従来電気課における組合活動は、同申請人と米田好喜が中心となつて行われており、米田も役員選挙に立候補する予定であつた、(7)次いで同年九月二七日谷村大阪本社編集局長から、洲本支局勤務の内示があり(本件転勤命令)、三井同局次長から、無線課における技術を洲本で生かして貰うとの説明があつた。

5  (1)昭和三五年九月二〇日の中央労使協議会における水野社長提案の再建計画案に対し、本部執行委員会において、申請人野元とともに批判的発言をした執行委員佐藤は、昭和三六年一〇月一日付で東京本社から宇都宮支局へ、同清水は、同日付で東京本社から山形支局へ各転勤を命ぜられた、(2)昭和三五年一〇月二八日の本部臨時大会において、代議員として出席し、平和協定に対し批判的発言をしたのは、申請人庄野、広島偉堯、広瀬義雄、中沢秀次の四名であつたが、広島は、入社以来一〇年近く勤務した大阪本社印刷局から、昭和三六年一月二一日付で同本社総務局厚生部に、広瀬は、同年三月一一日付で大阪本社印刷局から同本社発送部に配置換になつた、(3)昭和三六年一月二一日付で大阪本社印刷局から他局に配置換を命ぜられた七名のうち申請人庄野、米田は本部執行委員、申請人三山、広島は本部中央委員、申請人庄野は大阪支部青年部委員(事務長担当)をしており、大阪支部印刷局職場の中心となつて組合活動をしており、平和協定を批判していた、(4)大阪本社編集局職場会において、平和協定に対し批判的発言をした大塚正基は金沢支局に、杉山は九州総局に、玉岡は鳥取支局に、昭和三六年一月二一日付で各転勤を命ぜられた。

6  申請人らは、入社以来産経新聞社大阪本社ないし大阪新聞社本社印刷局職場において組合活動を行つてきたが、第一次異動の結果、同職場から引離され、同職場における地盤を失い、更に岡山支局、九州総局、洲本支局に転勤を命ぜられたことにより、組合活動の遂行を著しく困難ならしめられるとともに、組合役員に出られなくなつた。

以上の諸事実が疏明せられ、乙第三六ないし第三九号証、同第四二号証、証人泉山喜三郎、同辰農啓一の各証言中、右認定に反する記載または証言部分は前掲各証拠に照らし採用することができず、他に右認定を覆すに足りる疏明はない。

(三)  被申請人ら主張の転勤事由についてみるに、いずれも成立に争いのない乙第一〇号証、同第三二、第三三号証、同第三四号証の一、二、同第三五号証、証人三輪孝平の証言により真正に成立したものと認められる乙第一七ないし第一九号証及び証人岡本武雄、同三輪孝平、同石川昇の各証言によると、被申請人ら主張の如き事情から申請人らに対し本件転勤命令をなすに至つたことが一応窺われるのであるが、しかし

1  前記当事者間に争いのない事実に、申請人野元本人尋問(第一、二回)の結果を総合すると、同申請人は、昭和二九年四月産経新聞に入社以来、大阪本社印刷局活版部文選課に所属し、手動モノタイプ操作、保守の作業に従事し、七年近くに亘つて習熟した職場から、昭和三六年一月二一日付で大阪本社編集局連絡部電信課に配置換を命ぜられたが、同課における職務は、文選課におけるそれと全然異なり、証券取引所から送つてくる電信を受けたり、共同通信、東京本社から送つてきた原稿をキーボードを使つてテープに穴をあける作業であつた。因みに印刷局の機械化により、手動モノタイプを操作していた人は、キヤスターという活字鋳植機、手拾いの人は、キーボードの操作要員になる方針が、昭和三五年夏頃の課(文選課)会で決められており、同申請人もキヤスター要員を希望していた。ところで同申請人の電信課におけるキーボードの操作は標準を相当下廻つていたが、昭和三七年三月設置予定のキーボードのパンチヤー及び未経験の新聞記者として、昭和三六年一〇月一日付で岡山支局勤務を命ぜられた。当時電信課においてキーボードを操作していた人は、一二、三人、うち独身者は同申請人以外に二人いた、また同支局へキーボードが設置されたのは、昭和三七年五月二二、三日頃であつたこと、

2  前記当事者間に争いのない事実に、申請人庄野本人尋問の結果を総合すると、同申請人は、昭和二八年四月一日に大阪新聞社に入社以来本社印刷局活版部文選課に所属し、文選及び手動モノタイプの操作に従事し、八年近くに亘つて習熟した職場から、昭和三六年一月二一日付で本社販売局販売推進本部に配置換を命ぜられたが、同部における職務は、文選課におけるそれと全然異なり、担当地域を廻り産経新聞、大阪新聞等の購読を各戸に勧誘することで、六ケ月で原局に復帰するのが常であつたので、同申請人も文選課復帰を希望していた。次いで販売推進本部における職務とも異なる各販売店からの集金販売店を監督する販売担当員として、同年一〇月一日付で産経新聞社九州総局勤務を命ぜられたこと、

3  前記当事者間に争いのない事実に、申請人三山本人尋問の結果を総合すると、同申請人は、昭和二五年三月一六日大阪新聞社に入社以来、本社印刷局原動部電気課に所属し、変電室の管理、保守、電気設備作業に従事し、二年近くに亘つて習熟した職場から、昭和三六年一月二一日付で本社編集局連絡部無線課に配置換を命ぜられたが、同課における職務は、電気課におけるそれと全然異なり、未経験の無線機の取扱いということであり、無線課において特殊無線技士(無線電話乙)の免許を得たが、無線機の故障を修理する程の技能は未だ持つていなかつた。次いで昭和三六年一一月設置予定のラジオカーの無線機の操作及び未経験の新聞記者として、同年一〇月一日付で産経新聞社洲本支局勤務を命ぜられたこと、

以上の事実が疏明せられる。

そうすると、被申請人らにおいて、業務上申請人らを、岡山支局、九州総局、洲本支局に転勤させなければならない緊急かつ重要な事情を窺うことはできない。

以上(一)(二)(三)の各事実を総合すると、申請人らに対する昭和三六年一〇月一日付の本件転勤命令は、申請人らの平和協定に対する批判的発言ないし態度を快しとしない産経新聞社が大阪新聞社と通じて、申請人らを組合活動の場であつた印刷局から切離し(第一次異動)、更に岡山支局、九州総局、洲本支局に配置換して、その組合活動を阻止ないし未然に防止する意図を以てなされた不利益な取扱であり、しかも右意図が本件転勤命令をなすに至つた主要な理由であると推断せられる。

以上のとおりであるから、申請人らに対する昭和三六年一〇月一日付の本件転勤命令は、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為で無効である。従つて申請人らが本件転勤命令を拒否し、更にその赴任勧告に応じなかつたとしても、申請人らに咎むべき点はない。それゆえ、申請人らの転勤拒否を業務命令に違反するものとして、産経新聞社が、同年一一月一一日付でなした懲戒解雇の意思表示もまた前記法条に該当する不当労働行為で無効である。

四、仮処分の必要性

申請人野元は、産経新聞社から一カ月金二三、二〇〇円の平均賃金を、申請人庄野は、大阪新聞社から一カ月金二一、一三七円の平均賃金を、申請人三山は、大阪新聞社から一カ月金二八、六〇〇円の平均賃金を、毎月二五日限り支払われていたことは当事者間に争いがなく、本件転勤命令がなされた昭和三六年一〇月一日以降、産経新聞社は申請人野元を大阪本社編集局連絡部電信課に、大阪新聞社は申請人庄野を本社販売局販売推進本部に、申請人三山を本社編集局連絡部無線課に各勤務する従業員として取扱わず、かつ同日以降の賃金の支払を拒んでいることは弁論の全趣旨に照らし明らかであるし、一方申請人らが右賃金を生活の唯一の資としていることは、申請人ら各本人尋問の結果疏明せられるから、申請人らは本件仮処分を求める必要があるといわなければならない。

五、結論

以上のとおり、申請人らの本件仮処分申請は、爾余の判断をするまでもなく、いずれも理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎福二 荻田健治郎 白石隆)

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